
私たちが今の働き方に違和感を覚えるのはなぜ?歴史の「250年周期」と「3世代目の法則」が教えてくれたこと
こんにちは!
今日は、私がここ最近ずっと心の中で温めていた、というか、ずっと喉にトゲが刺さったように気になっていた「あるモヤモヤ」について、じっくりお話しさせてください。
みなさんは毎日を過ごす中で、こんな風に感じたことはありませんか?
「どうして社会は、こんなに『経済成長』や『金儲け』ばかりを正義とするんだろう?」 「会社に行けば、去年より高い目標、昨日より効率的な数字を求められるけれど……これって一体どこまで続ければゴールなんだろう?」
世の中を見渡せば、モノは溢れているし、スマホ一つで何でもできるくらい便利で安全なはず。なのに、私たちの心はどこか置き去りにされていて、常に「もっと、もっと」と急き立てられているような、奇妙な息苦しさがありますよね。
最近では、ひたすら拡大を目指すのをやめようという「脱成長社会」なんていう言葉も耳にするようになりました。そんな言葉に出会うたび、私は「もしかして、私たちが生きているこの資本主義社会って、もう完全に限界を迎えているんじゃないのかな……」と、一人でずっと考えていたんです。
そんな中、先日、ものすごい大発見をしてしまいました。 漫画家であり、文筆家でもあるヤマザキマリさんが、ラジオでこんな素敵な言葉をおっしゃっていたんです。
「人類の歴史を勉強すると、歴史は繰り返されていることが分かる。そして、自分が今どういう時代に生きているのかが見えてくる」
この言葉をヒントに、人類の歴史という果てしなく大きな映画を、すごーく引きの視点で見つめ直してみたんです。そうしたら、私がずっと抱えていた「資本主義って限界なんじゃ?」という予感の「答え」が、鳥肌が立つほど綺麗に、すとんと腑に落ちたんです。
少し長くなりますが、私が感動したその「歴史の仕組み」を、一つずつ丁寧にお話しさせてくださいね。
発見その1:歴史を動かす「250年周期」と、私たちの正体
まず驚いたのが、世界を支配する大きな社会システムや覇権国家には、不思議なほど「約200年〜250年」という寿命(周期)があるという事実です。
かつて世界を揺るがした古代ローマ帝国の黄金期も、約200年間でした。 その後、イギリスが産業革命を起こして世界をリードした時代も、やっぱり約200年間。 そして今、アメリカを中心とした現代の資本主義社会が本格的に始まってから、ちょうど100年〜150年ほどが経過しています。
歴史は、この250年前後のスパンで、古いシステムが限界を迎えて新しいシステムへとバトンタッチする、というサイクルをずーーっと繰り返しているんです。
では、なぜ「250年」なのでしょうか? ここが一番の感動ポイントなのですが、人間の寿命(約80年)をベースに考えると、240年というのはちょうど「3世代分」にあたります。
国やシステムが生まれてから滅びるまでには、人間心理に根ざしたこんな「3つのステップ」があるそうなんです。
- 【1世代目:開拓・成長期】 何もないゼロの状態から、必死に汗を流して新しいシステム(今の資本主義など)を作り上げる世代です。「生きるため、豊かになるため」という明確な目的があります。
- 【2世代目:成熟・全盛期】 1世代目が作った基盤をフルに使いこなし、社会を一番便利な状態へと完成させる世代です。バブル期のように、経済的な豊かさを全力で謳歌します。
- 【3世代目:停滞・衰退期】 そして、生まれた時から全てが便利で、システムが完成しきった後に生まれるのが……なんと、まさに今の私たちなんです。
この「3世代目」の視点に立ってみると、すべての謎が解けます。 私たちは、生まれた時から蛇口をひねれば水が出るし、スマホを開けば無料の娯楽が溢れています。システムとしてはこれ以上ないほど「完璧」なんです。
それなのに、社会の仕組み(古いルール)だけは、1世代目の時のまま「もっと拡大しろ」「もっと売上を増やせ」と言い続けている。
私たちが「金儲けばかりの世界って、なんか意味を見出せないな……」と強烈な違和感を持つのは、私たちが怠け者だからでも、社会不適合者だからでもありませんでした。 「システムが成熟しきって、次の段階へ進もうとしている3世代目の人間」として、ごくごく正常な、歴史の必然としてのセンサーが働いていたからだったんです。
このことに気づいた瞬間、「あぁ、私のこのモヤモヤは間違っていなかったんだ!」って、ものすごく救われた気持ちになりました。
発見その2:「戦争」の歴史さえも、無理な拡大の歪みだった
もう一つ、歴史を勉強していてずっと苦しかったのが「人類はどうしてずっと戦争を繰り返しているんだろう」という疑問でした。「人間は本能的に争う生き物なのかな」と、どこか悲観的に諦めていた部分があったんです。
でも、これも歴史の事実を紐解くと、少し違う景色が見えてきました。
実は、人類の歴史の9割以上を占める広大な「狩猟採集時代」には、集団同士が殺し合うような組織的な戦争の痕跡って、ほとんど見つかっていないそうです。なぜなら、当時はその日暮らしで、奪い合うための「蓄え(財産)」自体が存在しなかったからです。
人類が本格的な戦争を始めたのは、今から約1万年前に農業(農耕)を始めて、土地に定住し、「富の格差」が生まれてからのことでした。
つまり、戦争は人間の本能ではなく、社会を無理に「拡大・成長(=金儲け)」させようとした時に作られてしまった、社会システムの最悪のバグ(副産物)だったんです。
これまでの資本主義や帝国主義の歴史では、国内の市場が行き詰まるたびに、外へ外へとパイ(領土や資源)を奪い合うために戦争が引き起こされてきました。あるいは、戦争による大量消費で経済を無理やり動かす「最悪のカンフル剤」として使われてきた側面もあります。
けれど、現代はそのルールさえも完全に限界を迎えています。 核兵器の登場によって「勝っても共倒れになる」ことが分かっているし、現代の本当の富は、ミサイルで奪える土地ではなく「技術やデータ、文化」という目に見えないものに移っているからです。
社会を無理やり拡大させるための「戦争」という古いシステムもまた、今まさに歴史的な引き際を迎えているのだと感じます。
これからの時代を、どう生きるか
ここまで歴史を大きな目で見つめ直してみると、今私たちが生きている現代って、ちょうど大きな転換点にあたるんだな、ということが分かります。
これまでの「ひたすら拡大して、成長し続ける経済のルール」が、少しずつ役割を終えようとしているのかもしれません。
でも、「衰退」なんていう言葉を聞くと、なんだかネガティブで暗い未来を想像してしまいますよね。けれど、私は別にそんな風に落ち込む必要はないんじゃないかな、と思っています。
「人間って、250年ごとにこういう波を繰り返しているんだな。私たちは今、たまたまその引き際の時期に生きているんだな」
そうやって一歩引いて、歴史の仕組みを冷静に知ることができるだけで、心にすーっと余裕が生まれてくる気がします。社会の閉塞感に振り回されて、一人で焦る必要なんてどこにもなかったんだな、と。
じゃあ、今の社会のルールが少しずつ変わっていく中で、これからどう生きていけばいいのだろう。
次の世代の子どもたちに「新しい世界をよろしくね」とただ丸投げして、自分は何もせずに見ているだけ……というのも、なんだか寂しいし、少しつまらないなと感じます。
古いルールが通用しなくなっている今だからこそ、まずは私自身が、自分の仕事や日々の暮らしを、少しずつでも「次の時代」の感覚に合わせて変えていけたらいいなと思っています。
これからの時代は、無理に売上や規模を大きくすることを目指すのではなく、今あるものを大切にする「循環」や、効率や金儲けばかりを追いかけるのではなく、「自分にとってその仕事にどんな意味があるか」「自分の『好き』や『こだわり』をどれだけ大事にできるか」という、働く人の内面の充実が大切にされる社会になっていくと言われています。
それなら、意味を感じられない数字のためだけにエネルギーをすり減らすのは、もうやめにしてもいいのかもしれません。どんな仕事であっても、ただの歯車として働くのではなく、自分の「好き」や「やりがい」を大事にしながら、目の前の仕事に誠実に向き合っていきたいなと思います。
立派な言葉で何かを主張したり、誰かに教えたりするのではなく、私自身がそんな風に「好き」や「働く意味」を大切にしている姿を、日々の暮らしの中で子どもたちに自然と見せていけたらいいな、と思っています。
私たちが抱いた違和感のその先で、子どもたちがさらに自由で新しい仕組みを作っていく。その時、私もただの観客ではなく、一緒に新しい時代を歩む一人のプレイヤーとして、彼らと「これからの豊かさ」を対等に語り合えたら、それはとても素敵な未来だなと思います。
古いルールに無理に合わせようとして消耗する日々は、もうおしまい。 私は私のままで、自分の「好き」や働く意味を大切にしながら、この時代の変化をのんびりと、でもワクワクしながら楽しんでいこうと思います。
