ポケモンGoってなに?
今さらながら、4歳の息子ちゃんはポケモンGoにドハマりしております。
『ポケモン GO』は、位置情報を活用することにより、現実世界そのものを舞台としてプレイするゲームです。
ふしぎな生き物「ポケットモンスター」略して「ポケモン」を捕まえたり、バトルさせたりすることができます。
保育園から帰ってきたら、私のスマホで即、ポケモンGoをやりたがり
田舎では数少ない、ジムになっているお寺へのお散歩も、毎日欠かしません。
ゲームをやめても、YoutubeでポケモンGoの動画を観たり、バトルごっこに、永遠付き合わされる始末…
このゲームのすごいところは、現実世界とゲームの世界を融合させたところにあります。
現実のあらゆる場所が、ポケストップや、ジムになっていて、そこへ行くと、アイテムがもらえたり、バトルできたりするのです。
水辺に行けば、水系のポケモンが出るし、しょっちゅうイベントを実施して、色違いや、帽子をかぶったポケモンなど、珍しいものが出るようにして、飽きないように工夫されています。
発表当初は、老若男女、いろーんな人が、スマホをもって、うろうろしていて、社会現象にもなりましたよね。笑
私も、ARで自分の目の前に(っていってもスマホの画面の中だけど)、ポケモンが現れたときは、衝撃を受けました!
ばっちりポケモン世代なので、リアルにサトシ君になれちゃうじゃん!と興奮したのを覚えています。笑
ま、でも飽き性なので、目標のピカチュウを捕まえる前に、辞めちゃったんですけどね。
アプリのデータ重かったし。
ポケモンGoに学ぶ妄想の力
とにかく、そのポケモンGoに、今世代を超えて、息子ちゃんが夢中なわけです。
こうやって親である自分も分かる分野のものを、子どもが好きになってくれると、共通で楽しめる面白さというのは、ありますね。
私の子ども時代には、そんなロングランなジャンルはなかったので、親は子どものアニメやゲームを理解できず、一緒に楽しむということは、まずなかったです。
今は親子で、ドラゴンボールや、名探偵コナン、どうぶつの森など、共通のアニメやゲームを一緒に楽しむ人たちが増えていると思います。
それはいいんだけど…もうね、夢中になりすぎちゃうわけです。
朝起きてすぐ、ポケモンの話「帽子リザードを進化させて、帽子リザードンにするよー!」
「爪切り怖いから、切ってる間ポケモンGoするー!」
「お寺で(ポケモンの)卵生まれたから、すぐ行きたい!」
ほっとくと何時間もゲームしてしまうので、本当に困っちゃう。。
こんなにも早く、ゲームへの対応で困ることになるとは…思ってもみませんでした。
文字も読めないくせに、どんどん操作方法を覚えて、使いこなしていくのにはびっくりです!
子どもの好きへのエネルギーってすごい!
こうして、ポケモンワールドに夢中になっている息子ちゃんを見て、ふと感じたのが
「妄想力」の偉大さ!です。
だって、ポケモンなんて実在しないんですよ?
お寺に行っても、そこはいつものただのお寺で、ジムもなければ、卵も存在しません。
それでも!
大人も子どもも夢中になって、わざわざ外へ出向いて、レアポケモンを探したり、バトルに出掛けたりするわけです。
言ってみれば、ただの妄想の世界に突き動かされているということ。
これを一人の世界でやっていたら、ちょっとおかしな人ですよね。
実在しない生きものを追いかけて、毎日ウロウロするって。笑
でも、そんな妄想も、大勢の人と共有すると、途端に現実になる。
現実世界では、何も手に入れてないのに、すごい達成感と高揚感が得られる!
これってすごいことじゃないですか!!?
つまり、現実がどうであれ、妄想だけで人は幸せになれる、ということを証明していると思うのです。
世界は妄想でできている
でも、考えてみれば、この世界には妄想があふれています。
民主主義も、経済も、法律も、権利も、すべて実在はしません。
ただの妄想です。
でも、みんながこれの存在を認めて、あたかも実在するかのようにふるまえば、それは現実になります。
今は誰も、これらをないものとして生きていくことは不可能ですよね。
つまり、ただの妄想も、他人と共有することで、現実になるし、常識になるし、権力になる!
これができるのは人間だけなんですねー。
その辺は、以前、「ホモサピエンス全史」で学びました。超面白かったです。
つまり、妄想の力は、この人間世界を支配してしまうくらい偉大なわけです。
おそるべし、妄想の力…
まぁ、それには、すべての人に、共通の妄想を認識させる必要があるわけですが。。
でも、これって逆に言えば、妄想力で自分ひとり騙すくらい簡単なんじゃないかと。
存在しないレアポケモン捕まえて、達成感が得られるなら
自分の好きな妄想の世界で、自由に楽しく生きることだって可能なんじゃないかと思ったのです。
他の人が、どれだけバカにしようが、可哀想と思われようが、自分が好きな世界や、モノを妄想で創り出して、幸せになれるんだったら、そんなステキなことはない。
赤毛のアンが、ガラスに映る自分の姿を、親友に見立てていたアレですね。
一見すると、すごく可哀想だけど、本人はそれでとても幸せになれているんです。
人生ってそんなものじゃないかと。
現実がどうであれ、どんな状況でも、人は幸せになれる!妄想の力で!
ちょっと視界が開けるような嬉しい発見でした♪
あっこの妄想世界を全員じゃなくて、一部の人と共有すれば、オタクとかの世界につながるわけですねー、なるほど。
オタクの二次元ワールドも、信仰者が増えれば、現実になる日が来るかもしれません。笑
この不快感はどこからくるのか?
それにしても、3歳くらいまでは、かわい~かわい~♥で、褒めてばかりいた気がする育児ですが、
4歳を超してくると、やれゲームだの、テレビだの、おもちゃだの…
本人のやりたいことと、親のやってほしいこととのズレが生じてきて、怒ることばかりが増えてきてしまったような気がします。
特に、ゲームや、テレビに夢中になることへの、この強い不快感はどこからくるのか?
何が私に、こんなにイヤと思わせるのでしょか?
まず、私の世代は特に、ゲームは悪者として扱われてきた感覚が刷り込まれている、というのがあると思います。
冷静に見れば、学びのあるゲームもあるのでしょうが(「桃太郎電鉄」とか、「信長の野望」とか?)ゲームばかりやっていると、おバカになるというイメージが強くあります。
あと、液晶を長時間見続けることの、視力への影響とか。
小さいスマホ画面で、すべてが進行していくので、本人だけの世界になって、こちらに共有されないことへの不快感とか。
まぁ、諸々あるわけです。
でもやっぱり、親としては、次から次に勝手に情報が与えられるゲームや、テレビよりも、自分から興味のあることを探しに行く、読書とかをしてほしいわけですよ!
つまり、受動的な遊びではなく、能動的な遊びを!
本で気になることを調べたり、粘土で3次元のものを作ったり、砂場で肌感覚を働かせたり!
自分は何も考えなくても、勝手にどんどんやることや、観るものを与えられる状況って、どんどん頭悪くなりそう!
これが、たぶん、一番イヤだと感じる原因だと思うんですよねー。
本当は、ポケモンじゃなく、実在する魚とか、虫とか、石とかの名前を覚えてほしい…
ポケモンをどれだけ勉強したって、架空の生き物だから…
でも、本人は自分の好きなものをどうして否定されるか分からないんですよね。
楽しいと思うものに忠実だから。
親である自分も一緒に楽しみつつ、この妄想の世界に支配されすぎない範囲で、折り合いをつけたいなーと思う、今日この頃です。
コメント
Very good blog article.Much thanks again. Much obliged.